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愛知は土地区画整理の先鋒者である

愛知県や岐阜県など中部地域には「地の力」があるのではないか、と藤井は言う。市政施行当時の明治22年、名古屋市の人口はわずか15万人程度。一方、同年の東京は135万人。ところが、名古屋市はここから爆発的に人口が増えていく。昭和9年には人口100万人を突破。同年の東京は600万人強。人口の膨れ方は東京よりも名古屋の方が圧倒的に多いのである。さらにその後、昭和44年には200万人を突破する。藤井は、その原因を、この地域の土地区画整理の計画性にあると推測する。

尾張徳川家が敷いた経済力の道筋と文化度に加え、肥沃な大地にも恵まれた中部地域は、ビジネスをするにも住まいを構えるにも、良い条件が整っている。土地をいかにうまく整理して住んでいくか、が、地域の発展と密接な関係を作っている。名古屋に本社を置き、中部地域を中心にして宅地開発事業を展開していると、藤井は「地の力」を感じることが多いのだそうだ。三英傑がこの地域から生まれたということとも無関係ではないだろう。